kenyuhyouriの日記

神主の語る神霊と霊術の話 

世のため人のため

世間一般では、善き行いを勧める表現としてに「世の為人の為」と云う言葉が使われることがあるが、「人の為」で動く輩は、此れが為にダメ、駄目、駄目なんです!

 

自己保身と顕示欲では話にならない!

 

いいですか!?

 

世の為とは即ち、この世界(理)の法則に沿った生き方(考え方や行動)であります。

 

だから間違いや無駄は少ないのです。

 

方や人の為とは、属人的な思考法から起こるものであり、私や貴方や、人類の為にとか云った陳腐で、偽善的で、理から逸脱したものでしかないのです。

 

人の為に海岸線を壊し、海流の流れを変えたりすると、水害は担保できても、魚が取れなくなって漁民の生活が困窮してしまったり、人家のない山や大地にソーラー発電やゴミ処理施設を作って良かれと思っても、水害や河川の水脈が汚染や枯渇して山林の生態系が崩れ、河川の水量が激減し、麓の農業が打撃を受けたりと、人の浅はかな🐒知恵が行うことは何処かおかしい。

 

俯瞰して物事を見る眼(まなこ)持った人間が少なくなった。

 

昨今の政治家や行政は目先のリターンしか考えられなくなってしまったのかしら(小泉SEXY小僧とか)?

 

阿呆ですよね?

 

昔の指導者は半世紀、一世紀先の世界を見て駒を打っていましたが…。

 

國體護持の精神がありました。

 

因みに、世界の宗教や倫理観は、殆どが「人の為」理論です。

 

キリストも、釈迦も、プラトンも、マルクスも然り。

 

唯一、「随神」のみが、世の為世の為であります。

神霊詐欺師にご注意あれ

神道神道の神を弄ぶ輩が蔓延っていますので、騙されないように注意ください。

 

私も神職の端くれとして申しあげておきます。

 

こ奴らは神道を、自分の願いや救いが叶う道具として語り神を冒涜しています。

 

神道に於いてはとても大切なことなのでキチンと説明致します。

 

産土神氏神について誤解されている方がおりますが、神社庁の公式見解を元に正しい解説を致します。

 

くれぐれも神社や神職が「産土神鑑定」とか「産土神リサーチ」などの下衆な連中と同等に見られては氏子や崇敬者の皆様に申し訳が立ちません。

 

我々宮人がいい加減な説明をしているなどと、呉れ呉れも誤解をなさらないようにご了承願います。

 

 

 

 産土神とは何か?】

 

産土とは、古来よりその地域を支配した一族(領主や豪族等)の御霊、若しくはその守護神を表す言葉であり、それを産土神と称します。

 

正しくは「本居神」と言います。

 

 

 

氏神とは何か】

 

氏神とは、各氏族の祖先の「霊団」として祀る神であります。

 

 自らが居住する地域の産土神社と氏神が一致する場合もあれば、全く違う場合もあります。

 

元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この氏族、血縁的集団を氏子と呼んでいます。

 

以上のように答えは単純かつ明快に出ているのであります。

 

漢字の通り読めば産土神とは、貴方や貴女の産まれた地域の神であり、氏神は氏即ち其の氏族の神のことであります。

 

自分の産土神を探すことに、態々お金を払ってまで調べることではないのです。

 

 

 

日月神示について】

 

善良で無垢な人間に取り付いて、その者から「金銭」や「エネルギー」を吸い取る教えであります。

 

「恐怖」と「猜疑心」と「依存心」が強くなり、この日月神示(以下「引っ付き神事」と云う)さんの言いなりになってしまえば、貴方の人生を棒に振ってしまう畏れ多い尊い教えであります。

 

その教祖が故「岡本天明」という詐欺師と、その『引っ付き神事』をネタに荒稼ぎをした「中〇伸一」という輩であります。

 

皆様が何を信じようが、どうなろうが一向にかまいませんが、駄目なものは駄目なのであり、間違っているものは、間違ているのであります。

 

何より下らない「引っ付き神事」なる予言で人心の不安を煽り、神道を冒涜し、自らの糧(食扶持)として利用しているから許せません。

 

そして最も畏れ多いことが、なぜ『国常立尊』と云う神代七代の隠神がそのような陳腐な予言をするのかわかりません。

 

神代七代の神とは、天地創造以前の神であり神道では表に出ない隠世の神と言われる神であります。

 

その神々が人間の社会如きの予言や啓示などすることは決してありません。

 

 「なんでこんな詐欺師に騙されるのかしら。顔を見たら分るでしょう?」

 

 

 

【資料①】

天明岡本天明)が錦宮に移住した頃、天水(辻天水)は「日月神示」をジッと読んでいたが、おかしな箇所に遭遇し、考え込んでいた。そして共に錦宮にいる友人の武智時三郎に相談した。
「武智さん、私は「日月神示」を二回繰り返し読んで見たがおかしいな、神様こんな事を言われるはずがない」と何箇所かの疑問の点を示した。
「そうか、わしもそのように思う」と武智も同意する。

天明を天水に紹介した武智は、さっそく天明を呼び寄せ、事の真相を尋ねた。
お前、これほんまに神様が下ろしたんか?」武智は天明の師匠である。

その気迫に押されて天明は低頭したという。
すんません。わしの意思だったように思います
武智は「そうか」と言っただけで、次の言葉がなかった。
「なんでこのようなものを書いたんや。自分が偉くなったからか?」

 

 

 

【資料②】

三島由紀夫は学生時代に日月神示のヤラセを目撃している。

日月神示』の舞台裏の一部始終を目撃するのである。

 

以下

そのころ一人の学生が珍重している奇怪な写本の噂が伝わっていた。

彼が明るい顔をしているのは、父母が信じていたある新興宗教に帰依しているからだと言われた。

Sの部屋へある夜ぶらりと訪ねてゆくと、私ともSとも同級の学生たちが四、五人思い思いの恰好をして、Sから写本の説明をきいているところであった。それは教祖が深夜祈祷のあげく神がかり状態になり、自動筆記した墨書の原本だという。
和綴じの鳥の子の帳面に、一字もよめない雲のような字体がうねっていた。これはみな数であらわしてあるのだとSはいう。十はとであり、九はくである。そう思ってよむとよめそうに思われた。その新興宗教大本教系統らしき神の示現によってひらかれ、「よいむなや、こともちらろね、しきる」何とかかんとかといういろは歌を呪文に用いていた。
週に一ぺんは神社の予言があり、それがこの秘密の写本なのだ、とSは特高を憚って皆の口を封じたすえ、『北が光るぞ、北に気をつけよ、猫のあとに犬が来るぞよ』などという荒唐無稽な予言を、うすぐらい管制用電球の下で読みあげはじめた。 荒唐無稽と言ってしまえばおしまいで、奇妙に親しげな卑俗な文体のその予言は、気持ちの中へぬるぬると這い込んできて追い出すことができない。

私たちは顔を見合わせて微笑するが、誰一人この予言に心をゆすられていないのはなさそうである。
たとえばこう思うそばからその予言は『白き人、中つ国にあらわるるぞ。白き人というは別のことではないぞよ』などと故意か偶然かおあつらえむきにつづくのである。
その二三日のち教祖のところで祭典がひらかれるから列席しないかとのSの誘いに、物好きについて行ったのは私と高等学校時代資本論を読破したというNと詩人肌のKと将来法律学者になるつもりのOの四人であった。
教祖は日本画家の由で、小田急線のあまり人の下りない駅のすぐ裏手に、なかなかハイカラな洋館に住んでいた。 Sは勝手知ったる様子で奥のほうで何やら相談に加わっていたが、そこへひからびた小男が入って来て挨拶した。教祖であった。
松葉を巻いた手巻煙草をすすめられたが、四人とも一トのみして咳がとまらなくなった妖しい煙草を、教祖は平然と吸っているので、きっとどこかしらえらい男であろうと思われた。家中人の出入がはげしく、信者たちが常人とかわらぬ時候の挨拶をして大声にわらっているのが却って異様なものにきこえた。
その日は初夏のきわめてよい日和で、祭典はうしろの山の中腹で天日の下にひらかれるのだと私たちは告げられた。その前にみそぎが要求されたが、私は頭にタラタラと水をふりかけて済ました。唯物論者Nは褌一本になって大童であった。
山の中腹はきれいに切り拓かれてところどころにひょろ長い松が残されていた。子供の砂あそびを拡大したように、富士を中心に七つの山と七つの湖が土で象られ築かれたおりその一つ一つに七五三縄が巻いてあった。富士山の前にだけ鳥居があり、榊の代わりにすべて松が用いられた。
列席者はもっとも熱心な信者である赤ら顔の退役中佐や、蒼白でしじゅうぶるぶるふるえている神経病の青年や、霊媒の役をつとめるモンペ姿の大佐未亡人など信者二十数人と私たちとである。
未亡人は目をつぶって何か呟き出した。ややあってがくりと崩れ折れた末我にかえると、彼女は信者のほうをふり向いて、『只今、いよいよ煎豆に花が咲くぞよとお告げがございました』と感激的な口調で言った。信者は一せいにお辞儀をし神経症の青年はそれをきくなりテンカンを起こしたのか倒れかかって信者に援け起こされた。
この明るい初夏の空の下に行われた神託が何故か落花生を連想させたので私は腹が空いているのを感じた。それが恐怖を忘れさせた。恐怖は忘れた代わりに、人間が一体何のために何をやっているのか、その時から私にはよくわからなかった‐一九四八、四、一‐」

 

三島由紀夫 邪教』 サンデー毎日  昭和23年4月18日発行

真剣白刃取り

日本古武術の究極の奥義

 

「真剣白刃取り」

 

 

 

 

この奥義を究めるために、幾多の武道家達が技の研鑽を競い、過酷な修行を積み、命を懸けて、長い年月を費やして初めてものにできる究極の奥義であります。

 

 

凄い!

 

凄すぎる!

 

 

但し~?

 

相手の刀が上段から打ち下ろされてきたら、さっと横によけて、後ろから首を撥ねるか、又は持っている刀で相手の刀身を往なすかして、打ち下ろされた上腕の脇の下を、逆袈裟でそっと撥ねれば相手の動脈が切れて勝負はつきます。

 

何十年も無駄なこと(白刃取り)に拘ることはないのでは?

 

意味のないことに無駄な時間をかけることは有りませんね?

怨みと呪いを外す

人の想念ほど怖ろしいものはありません。

 

それはある時、具現化して貴方や貴方の身内に振り被って来るのです。

 

普段は仲の良い隣人であり、良き上司や部下であり、友人や恋人であっても…。

 

その者たちの心の奥底に潜むドロドロとしたものや、妬み、恨みなどの想念が膨らみ想念体と化して発動するのです。

 

そうした念が強ければ強いほど、恨まれた者は被害を被ります。

 

貴方は、何故そんなことが私に被るのかが分かりません?

 

日常の意識状態にある者たちにはそれが何故起こるのかが分かりません?

 

そして、誰が私にその念を飛ばしてくるのかが分かりません?

 

生物とは、生きていくために自己を保全し、自己の立場を最大限に保つことに意識的に、無意識的に行動するものだから致し方ありませんけれども。

 

但し人は少し他の生物とは異なり、そこに自我意識が発現して、更に、所有という概念を生じてしまうから、他者との関係性とか比較優位という感情が芽生えてしまうのです。

 

然し私達は、自己の通常意識を広げ上昇させる訓練(修行)を行っています。

 

それが「禊行」であり、「鎮魂行」であるのです。

 

これを何度も繰り返し行っていると、自己の意識の幅が広がってくることが分かります。

 

そうなれば他人の考えや心の動きがある程度理解できるようになってきます。

 

こうなればつまらない事で人とトラブルになったり、他人から要らぬ恨みや妬みなどを受けないように往なす事が出来てくるのです。

 

然し罹ってくる禍津毘や想念は、祓わなければ自分や身内の心身を蝕んでいくこととなります。

 

そのために私たちは「刀印の祓」と「息吹」の修行をして、こうしたものを自分の心身に侵入させないようにして、身内や愛するものを守ることができるために修練をしているのです。

 

禊合宿のお知らせ

8月の「禊合宿」の案内です。

 

誰でも、初めての方でも参加できます!

 

百済(くだら)無い、インチキスピラーやインチキ霊能者の本を読んだり、講座に出ても本当に何もならなかったと後悔している貴方、貴女?

 

一度、当会の勉強会や禊合宿に参加されては如何でしょうか?

 

詐欺師どもに騙された自分が情けなく、穴があったら入りたいと思う後悔の念を抱き笑っちゃうでしょうが、ほどなく変わりますから。

 

深山幽谷の北関東の神社の清流(御神域)で、本物の禊を体験しませんか?

 

 

 

「禊」と「山駆け」と「息吹・刀印の祓」の修行と、神道霊学の講座があります。

 

集中講義となります。

 

この合宿で、随神の本質と霊学、霊術、修行を通して本物の信仰と随神の教へを理解していただければ幸いに存じます

 

 

 

禊合宿

日 時:8月24日(土)〜25日(日) 集合12:00 解散10:00

内 容:山駆け、奥宮参拝、禊(鳥舟、鎮魂)、刀印の祓、伊吹、霊学講義、昇殿祈祷

会 費:一泊二日 講員:20,000円  一般:22,000円(共に男女別大部屋、2食付き) ※個室は+2,000円/日(残1部屋)

    初めて参加する方は、初学講座を受講して頂きます+3,000円掛ります。

締切り:8月16日(金)

 

申込み:kenyu.kouza@gmail.com

 

 

 

禊場の清流

大東亜戦争戦没者慰霊祭

今から79年前の8月14日(1945(昭和20)年8月14日)に天皇詔書を録音、翌15日正午、その内容はラジオ放送を通じて広く国民に報じられた。

 

【原 文】

朕(チン)深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑(カンガ)ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ココ)ニ忠良ナル爾(ナンジ)臣民ニ告ク

朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑々(ソモソモ)帝国臣民ノ康寧(コウネイ)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(トモ)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(ケンケン)措カサル所曩(サキ)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ユエン)モ亦(マタ)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(モト)ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已(スデ)ニ四歳(シサイ)ヲ閲(ケミ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々(オノオノ)最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(シカノミナラズ)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(シキリ)ニ無辜(ムコ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真(シン)ニ測ルヘカラサルニ至ル而(シカ)モ尚交戦ヲ継続セムカ終(ツイ)ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ヒイ)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(カク)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(セキシ)ヲ保(ホ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ悲命ニ斃(タオ)レタル者及其ノ遺族ニ想(オモイ)ヲ致セハ五内(ゴナイ)為ニ裂ク且(カツ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(コウム)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(シンネン)スル所ナリ惟(オモ)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(シンイ)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情(ジョウ)ノ激スル所濫(ミダリ)ニ事端(ジタン)ヲ滋(シゲ)クシ或ハ同胞排擠(ハイサイ)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道(ダイドウ)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確(カタ)ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏(カタ)クシ誓(チカッ)テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

玉音放送に聴き入る人たち
玉音放送に聴き入る人たち=1945年8月15日正午すぎ、大阪・梅田の曽根崎警察署前


【現代語訳】

私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。

私は、日本国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらによる共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。しかしながら、交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。それどころか、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。

私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。

私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。

 

 

顕幽表裏の勉強会では今年は8月15日(金)に勉強会の会場が取れなかったため、8月17日(土)午前10:00より「大東亜戦争戦没者慰霊祭」を執り行います。

 

誰でも参加できます。

 

愛心ある方の参加をお待ちしています。

 

 

開催決定しました!

戦没者慰霊祭+霊学講座】誰でも参加できます

神道の源泉である大己貴神道と、神道に於ける神名と神々の役割を解説します。

スピラーの言うような「神様は人間の姿をして十二単を着て人間の願いを聞いてあげる」等と云う陳腐な存在ではありません古神道と日本の神様の真実を徹底的に解説いたします。

日 時:8月17日() 10:00~17:00

内 容:祈祷「戦没者慰霊祭」、講座「大己貴神道について」、「神道の神と神代の原理」、鎮魂法、直会

場 所:杉並区の公民館

会 費:一般:12,000円  講員:10,000円

締切り:8月16日(金)

 

申込み:kenyu.kouza@gmail.com

 

【顕幽表裏】8月の勉強会

【8月12日更新】  8月の「顕幽表裏」の勉強会のお知らせです。

 

 

初めての方でも、何方でも参加できます。

 

現代の神道の教えだけではなく、大己貴神道と呼ばれた古の神道のエッセンスもお伝えします。神道霊学や霊術、真の信仰というものを学びたい方は、ぜひ当会の門戸を叩きください。

 

神職の私が、神道の深淵を皆様に丁寧に伝えてまいります。

 

 

 
 

開催決定しました!

霊学講座戦没者慰霊祭 誰でも参加できます

神道の源泉である大己貴神道と、神道に於ける神名と神々の役割を解説します。

スピラーの言うような「神様は人間の姿をして十二単を着て人間の願いを聞いてあげる」等と云う陳腐な存在ではありません古神道と日本の神様の真実を徹底的に解説いたします。

日 時:8月17日() 10:00~17:00

内 容:戦没者慰霊祭、講座「大己貴神道について」、「神道の神と神代の原理」、鎮魂法、直会

場 所:杉並区の公民館

会 費:一般:12,000円  講員:10,000円

締切り:8月16日(金)

 

 

 

開催決定しました!

禊合宿誰でも、初めての方でも参加できます!

日 時:8月24日(土)〜25日(日)  集合12:00 解散10:00

内 容:山駆け、奥宮参拝、禊(鳥舟、鎮魂)、刀印の祓、息吹の祓、霊学講義、昇殿祈祷

会 費:一泊二日 講員:20,000円  一般:22,000円

    共に男女別大部屋、2食付き  個室は+2,000円/日(残1室)

    初めて参加する方は、初学講座を受講して頂きます+3,000円掛ります。

締切り:8月16日(金) 

 

 

 

開催決定!

神道祭式・行法・霊学講座誰でも参加できます。

神道霊学の総合講座です。

日 時:8月31日(土) 10:00~17:00

内 容:拝神行事、神社祭式行事(参拝、神棚拝神、祝詞など)、霊学、行法、鎮魂法、直会

場 所:杉並区の公民館

会 費:一般12,000円 講員10,000円 

     初めての方は+3,000円(初学講座費)が掛かります

締切り:8月23日(金)

 

 

申込み:kenyu.kouza@gmail.com

 

 

*その他にも当勉強会では、神道霊学・霊術・及び祭式など、学んでみたい講座のリクエストも受け付けております。

 

 

顕幽表裏とは?

顕幽表裏(けんゆうひょうり)とは、現身(物質)と幽身(霊)は裏表という随神(神道)の教えであります。

 

私はこのニックネームで11年ほど前から「ameba」でブログを書いています。

 

今回こちらの「はてなブログ」に新規参入させていただきました。

 

簡単なプロフィールを申せば

 

神社神道神職であり、「神道・霊学・霊術」の講座を開催しています。

 

信条は「神は人を救わない」、「善悪や固定観念で物事を見ない(判断しない)」、「すべては自己責任である」の三条を基本にブログを綴っています。

 

お見知りおきのほど、よろしくお願いいたします。

 

神の道を歩む

人の前で、他人を否定しないこと。


三者がいる前で、本人を批判しないこと。

 

他人から自分や自分の家族や信念を批判されても怒らないこと。

 

歴史に学び、自国の文化を尊ぶこと。

 

先達や年長者を敬うこと。

 

物事の道理を重んじ、筋道を違えないこと。

 

これ全て、人の道にあらずして神の教えに従うことにある。