kenyuhyouriの日記

神主の語る神霊と霊術の話 

神霊詐欺師にご注意あれ

神道神道の神を弄ぶ輩が蔓延っていますので、騙されないように注意ください。

 

私も神職の端くれとして申しあげておきます。

 

こ奴らは神道を、自分の願いや救いが叶う道具として語り神を冒涜しています。

 

神道に於いてはとても大切なことなのでキチンと説明致します。

 

産土神氏神について誤解されている方がおりますが、神社庁の公式見解を元に正しい解説を致します。

 

くれぐれも神社や神職が「産土神鑑定」とか「産土神リサーチ」などの下衆な連中と同等に見られては氏子や崇敬者の皆様に申し訳が立ちません。

 

我々宮人がいい加減な説明をしているなどと、呉れ呉れも誤解をなさらないようにご了承願います。

 

 

 

 産土神とは何か?】

 

産土とは、古来よりその地域を支配した一族(領主や豪族等)の御霊、若しくはその守護神を表す言葉であり、それを産土神と称します。

 

正しくは「本居神」と言います。

 

 

 

氏神とは何か】

 

氏神とは、各氏族の祖先の「霊団」として祀る神であります。

 

 自らが居住する地域の産土神社と氏神が一致する場合もあれば、全く違う場合もあります。

 

元来は、文字通り氏姓を同じくする氏族の間で、自らの祖神(親神)や、氏族に縁の深い神様を氏神と称して祀ったことに由来し、この氏族、血縁的集団を氏子と呼んでいます。

 

以上のように答えは単純かつ明快に出ているのであります。

 

漢字の通り読めば産土神とは、貴方や貴女の産まれた地域の神であり、氏神は氏即ち其の氏族の神のことであります。

 

自分の産土神を探すことに、態々お金を払ってまで調べることではないのです。

 

 

 

日月神示について】

 

善良で無垢な人間に取り付いて、その者から「金銭」や「エネルギー」を吸い取る教えであります。

 

「恐怖」と「猜疑心」と「依存心」が強くなり、この日月神示(以下「引っ付き神事」と云う)さんの言いなりになってしまえば、貴方の人生を棒に振ってしまう畏れ多い尊い教えであります。

 

その教祖が故「岡本天明」という詐欺師と、その『引っ付き神事』をネタに荒稼ぎをした「中〇伸一」という輩であります。

 

皆様が何を信じようが、どうなろうが一向にかまいませんが、駄目なものは駄目なのであり、間違っているものは、間違ているのであります。

 

何より下らない「引っ付き神事」なる予言で人心の不安を煽り、神道を冒涜し、自らの糧(食扶持)として利用しているから許せません。

 

そして最も畏れ多いことが、なぜ『国常立尊』と云う神代七代の隠神がそのような陳腐な予言をするのかわかりません。

 

神代七代の神とは、天地創造以前の神であり神道では表に出ない隠世の神と言われる神であります。

 

その神々が人間の社会如きの予言や啓示などすることは決してありません。

 

 「なんでこんな詐欺師に騙されるのかしら。顔を見たら分るでしょう?」

 

 

 

【資料①】

天明岡本天明)が錦宮に移住した頃、天水(辻天水)は「日月神示」をジッと読んでいたが、おかしな箇所に遭遇し、考え込んでいた。そして共に錦宮にいる友人の武智時三郎に相談した。
「武智さん、私は「日月神示」を二回繰り返し読んで見たがおかしいな、神様こんな事を言われるはずがない」と何箇所かの疑問の点を示した。
「そうか、わしもそのように思う」と武智も同意する。

天明を天水に紹介した武智は、さっそく天明を呼び寄せ、事の真相を尋ねた。
お前、これほんまに神様が下ろしたんか?」武智は天明の師匠である。

その気迫に押されて天明は低頭したという。
すんません。わしの意思だったように思います
武智は「そうか」と言っただけで、次の言葉がなかった。
「なんでこのようなものを書いたんや。自分が偉くなったからか?」

 

 

 

【資料②】

三島由紀夫は学生時代に日月神示のヤラセを目撃している。

日月神示』の舞台裏の一部始終を目撃するのである。

 

以下

そのころ一人の学生が珍重している奇怪な写本の噂が伝わっていた。

彼が明るい顔をしているのは、父母が信じていたある新興宗教に帰依しているからだと言われた。

Sの部屋へある夜ぶらりと訪ねてゆくと、私ともSとも同級の学生たちが四、五人思い思いの恰好をして、Sから写本の説明をきいているところであった。それは教祖が深夜祈祷のあげく神がかり状態になり、自動筆記した墨書の原本だという。
和綴じの鳥の子の帳面に、一字もよめない雲のような字体がうねっていた。これはみな数であらわしてあるのだとSはいう。十はとであり、九はくである。そう思ってよむとよめそうに思われた。その新興宗教大本教系統らしき神の示現によってひらかれ、「よいむなや、こともちらろね、しきる」何とかかんとかといういろは歌を呪文に用いていた。
週に一ぺんは神社の予言があり、それがこの秘密の写本なのだ、とSは特高を憚って皆の口を封じたすえ、『北が光るぞ、北に気をつけよ、猫のあとに犬が来るぞよ』などという荒唐無稽な予言を、うすぐらい管制用電球の下で読みあげはじめた。 荒唐無稽と言ってしまえばおしまいで、奇妙に親しげな卑俗な文体のその予言は、気持ちの中へぬるぬると這い込んできて追い出すことができない。

私たちは顔を見合わせて微笑するが、誰一人この予言に心をゆすられていないのはなさそうである。
たとえばこう思うそばからその予言は『白き人、中つ国にあらわるるぞ。白き人というは別のことではないぞよ』などと故意か偶然かおあつらえむきにつづくのである。
その二三日のち教祖のところで祭典がひらかれるから列席しないかとのSの誘いに、物好きについて行ったのは私と高等学校時代資本論を読破したというNと詩人肌のKと将来法律学者になるつもりのOの四人であった。
教祖は日本画家の由で、小田急線のあまり人の下りない駅のすぐ裏手に、なかなかハイカラな洋館に住んでいた。 Sは勝手知ったる様子で奥のほうで何やら相談に加わっていたが、そこへひからびた小男が入って来て挨拶した。教祖であった。
松葉を巻いた手巻煙草をすすめられたが、四人とも一トのみして咳がとまらなくなった妖しい煙草を、教祖は平然と吸っているので、きっとどこかしらえらい男であろうと思われた。家中人の出入がはげしく、信者たちが常人とかわらぬ時候の挨拶をして大声にわらっているのが却って異様なものにきこえた。
その日は初夏のきわめてよい日和で、祭典はうしろの山の中腹で天日の下にひらかれるのだと私たちは告げられた。その前にみそぎが要求されたが、私は頭にタラタラと水をふりかけて済ました。唯物論者Nは褌一本になって大童であった。
山の中腹はきれいに切り拓かれてところどころにひょろ長い松が残されていた。子供の砂あそびを拡大したように、富士を中心に七つの山と七つの湖が土で象られ築かれたおりその一つ一つに七五三縄が巻いてあった。富士山の前にだけ鳥居があり、榊の代わりにすべて松が用いられた。
列席者はもっとも熱心な信者である赤ら顔の退役中佐や、蒼白でしじゅうぶるぶるふるえている神経病の青年や、霊媒の役をつとめるモンペ姿の大佐未亡人など信者二十数人と私たちとである。
未亡人は目をつぶって何か呟き出した。ややあってがくりと崩れ折れた末我にかえると、彼女は信者のほうをふり向いて、『只今、いよいよ煎豆に花が咲くぞよとお告げがございました』と感激的な口調で言った。信者は一せいにお辞儀をし神経症の青年はそれをきくなりテンカンを起こしたのか倒れかかって信者に援け起こされた。
この明るい初夏の空の下に行われた神託が何故か落花生を連想させたので私は腹が空いているのを感じた。それが恐怖を忘れさせた。恐怖は忘れた代わりに、人間が一体何のために何をやっているのか、その時から私にはよくわからなかった‐一九四八、四、一‐」

 

三島由紀夫 邪教』 サンデー毎日  昭和23年4月18日発行